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​大安楽寺の歴史

大安楽寺は延長2年(924年)一条修理太夫が当地におもむき、庶民の福祉を念じ大護摩祈願を厳修、現在の御徒士町に安原山「安楽寺」と称し行基菩薩により開山されました。

後に永正元年(1504年)島立右近が松本城建築に際し、東北東鬼門の方角に当る松本城鬼門除守護の霊刹とし七堂伽藍を再建しました。

憲孝法師の代に中興され、元和元年(1617年)現地に移されました。以来、当寺は松本城主代々の守り寺として敵の侵攻に備え、堅固な造りにし、寺城としての性格をもって大切に守られ、城主代々祈願寺としてまつられてきました。そして実に壮観な伽藍と見識高き霊場とし、城下随一の祈願寺として栄えました。現在の松本百番・三十三番観音霊場めぐり第一番札所と定めてある意もうかがわれます。

松本平一円の信仰深き道場として、悩み苦しむ人々に真の光かがやく心の泉を与えくださる寺なりと、多くの信者に支えられ多くの参拝客を今もなお迎えております。大正11年には「安楽寺」を「大安楽寺」と改称しました。

本尊様は「大日如来」をまつり、松本市の重要文化財となっております。また特に「十一面観世音菩薩」は第一番札所として名を高め、松本城主小笠原氏によって命ぜられて秘仏とされて以来、住職でさえ扉を開けることはできませんでした。

時は流れ、昭和25年、仁王門の移築に伴い、秘仏「十一面観世音菩薩」の御開帳が行われました。

それから60年の時を経て、御本堂新築のお祝いに、平成21年5月に落慶法要に合わせ御開帳が行われました。

またその他にも不動明王・愛染明王・薬師如来・馬頭観音・庭には数々の石仏がおられます。聖徳太子殿は手職人方々の講員によって守られ、信仰信者を多く集めております。

しかし現在にいたるまでには苦難の時代もございました。明治の廃仏毀釈では全伽藍を焼失、無残な姿となりました。その姿に檀信徒は悲しみ深く沈むも再建の思い強く、明治22年に現在の松本「あがたの森」に残っておりました古いお堂をお譲りいただき移築し、観音堂・聖徳太子殿とし、その後百十余年の歳月を経て今日に至っております。その間、観音堂・聖徳太子殿をつなげ、増改築をくりかえし、本堂として宗教教化祭事の法統を守りながらその都度応急補修工事をして大切に活用し護持に努めてまいりましたが、老朽化はこの数年加速し、保持していくことがいよいよ限界となりました。

檀信徒の皆様方のご理解とご協力により、平成21年5月、新御本堂が完成し、盛大に落慶法要を行いました。

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